息詰まる清掃

小学校という所は、よく無意味なスローガンを立てたがる。「廊下は静かに右側を歩こう」などと朝会で力説していた教務主任が、その日の昼休みにはバタバタと走りながら職員室に向かう様はとてもバカバカしい。

 

自分が通っていた小学校では、掃除は毎日決まった時間、全員が取り組むものだった。班ごとにそれぞれ担当の場所へ行き、クラスによっては「月曜日は○○さんが雑巾、火曜日は××さんが雑巾」などと、こと細かく役割分担をしている所もあった。

 

この掃除中のスローガンとして「みちすじ」というものがあった。これは、掃除中に守らなくてはいけないことの頭文字を集めたものである。

 

「み」は「みじたく」

「ち」は「ちんもく」

「す」は「すみずみ」

「じ」は「じかん」

 

"すみずみ"と"じかん"は、それぞれ隅々まで掃除しよう、時間いっぱい掃除をしようというもの。時間はまだしも、このスローガンを胸に抱え、隅々まで丁寧に掃除をした人間は果たしてどれくらいいたのだろうか。

 

"みじたく"は少しめんどい。我が校では掃除中、三角巾を着用する義務があったのだ。忘れた者は、担任の先生に借りなくてはならない。それでも意地の悪い先生は貸してくれないこともあった。皆、頭が白無地やらバンダナ模様やらで覆われて掃除をしている中、ひとりだけ黒髪を晒すのは、街中を裸で練り歩くのに等しいであろう屈辱感があった。

 

"ちんもく"。何よりもどれよりもコレが一番の厄介者である。掃除中は決して声を発してはならないという、刑務所のような掟があったのだ。教員はこれを「無言清掃」と勝手に名付け、4つのお約束のうちコレに一番力を入れていた。掃除中に無駄話をしている児童がいると、どこからともなく教員がササッと現れ叱られる。

 

掃除中は「おもちゃの兵隊のマーチ」が流れていた。3分クッキング用のアレンジではなく、クラシックの原曲だ。優雅な楽曲に包まれながら皆が黙々と清掃をするという、どこかの宮殿のような光景であった。しかし、自分が小3か小4のとき、「集中力が削がれるから」というバカみたいな理由で曲は廃止になった。こうなると残るのは"サッサッ"とほうきで掃く音と"…キュッ"という、マヌケな水拭きの音だけである。

 

小学生というものは誰しもが正義マンになりたがる。「ちょっとこれ捨ててよ」などと誰かが言うと、「あっ!お前喋ったー!」とこうくるわけである。「お前だって今喋ったー!」と返されると「これは注意だもーん!」などと、注意ならば大声を出していいというルールを勝手に作り上げる。こうしたくだらない小競り合いはやがて周りを巻き込んだケンカとなり、班員全員が担任に叱られるのがオチである。

 

この無言清掃は自分が通う中学にまで伝染していた。自分が住んでいる所は市のはずれのド田舎なので、小学校と中学校の距離が異常に近いのだ。おまけに、他の小学校と混ざることなく、引っ越したり私立中学に行くお友達以外はそっくりそのまま同じメンバーで中学校生活を送るのだ。なので、小学校の音楽祭の日にわざわざ中3が赴き、小学校の校歌を歌うという非常に身内ネタ臭い行事があった。思えばあの時、中学に入ってからこっちに転校してきた子はとても気まずい思いをしたことだろう。

 

このようなふざけた環境の為、中学の教員が小学校に来たり、逆に小学校の教員が授業参観の如く中学に来ることは稀にあった。いつ頃から中学でも無言清掃を徹底していたかは不明だが、少なくとも自分が小学校低学年だったときはそんな四字熟語は存在しなかったらしい。が、自分が中学に上がった際には、「開け朝読書・響け歌声・励め無言清掃」などと一大スローガンになっていた(確かこんなだったけどなんか違うような…。同じ中学の方、見てましたらご一報を。)

 

中学では三角巾の代わりに、制服が汚れるので掃除のときは全員体育着に着替えていた。言葉だけ聞くと面倒だが、なんの事はない。ほとんどの人が制服の下に体育着まで着ているのだ。男も女も、下に体育着を履いているから平気でうんこ座りしたり股を広げて座ったりして、品がない。さらに、夏場の暑い日などは制服を脱いで体育着で座学まで受けていた。

 

高校生になってから、高校の清掃指導のいい加減さと同時に、今までの無言清掃の無意味さに気付きとても驚いた。約9年間、「掃除は黙ってするもの」と洗脳されていたが、よくよく考えてみれば黙って掃除をすることになんの意味もない。黙ってやろうが喋りながらやろうが真剣にやるヤツは真剣にやるし、やらないヤツはやらないのだ。今までやってきた事をバカバカしく感じた自分は「とりあえず真面目にやってるフリはする人間」から「掃除をせず、挙句担当の先生と談笑して掃除の時間を終える人間」に成り下がったのである。